◆ 文化宮殿 (Palace of Culture) ◆

・ヤシ市の文化宮殿≠ニは、「モルドバ国立総合博物館」を指した建物の通称です。正確には、ヤシ市にある文化宗教省管轄の国立博物館全てを「モルドバ国立総合博物館」といいます。ルーマニアの国立博物館ですが、モルドバ地方にあるのでこの名が付いています。現在、文化宮殿には4つの博物館(歴史館・美術館・民族館・科学館)と修復部を持ち、各ホールでは物産展やイベントが催されることもあります。建物の一部には「ヤシ市・ゲルギオ・アサキ図書館」も含まれています。
・記録によると文化宮殿は1434年にモルドバ国の皇居として建立されました。その後アレクサンドル・モルジの皇太子邸となり(1806-1812)、365の部屋があったと言われています。1880年1月15日、ヤシの大火で町は焼け野原となり、もちろんここも焼失しましたが、1906-1925年の間に、現代のルーマニア王2世、フェルディナンドによって再建され30年行政機関として機能していました。(元モルドバ国の王で、現在も王家は存続しています。先日も皇太子様の結婚式が行われ、文化宮殿を貸し切って一晩中舞踏会が開かれたようです。)1955年からは裁判所として機能し、その後博物館になりました。文化宮殿はヤシ市の象徴であり、主に19世紀以降の詩人や音楽家に愛され、多くの作品のなかに登場しています。
・私もこの博物館で活動できることを誇りに思っています。当たり前のことですが、わずか5分の距離を歩いて出勤すると、すでに姿が見えているこの文化宮殿がだんだん近づいてきます。四季の植物や雪に覆われ、天候によっても毎日違う表情の文化宮殿を見ると、その美しさに「ああ、今日も文化宮殿は綺麗だなぁー。」と、1年半過ごした今も飽きる事はありません。(Y.M. 2005年5月)



♪モルドバ国立総合博物館 (通称)文化宮殿 (Palace of Culture)
開館時間10:00〜17:00 月曜定休日 入場料:各館 15,000lei,全館共通券 50,000lei

【職場紹介】
私(Y.M.)の職場は『地球の歩き方』にも掲載されている、お城のように見える博物館だ。中には歴史館・美術館・科学館・民族館の4つの博物館と修復部から成っている。1日で全部見るのは体力がいるので、興味のあるところからどうぞ。(その他、敷地の5分の1は図書館であるが、文化宗教省の管轄ではない)

【?ルーマニアなのになぜモルドバ?】
ヤシ市を代表するこの建物は、17世紀にモルドバ皇国の皇太子邸として建立されたものだった。(20世紀に戦争によって引かれた国境により、現在もモルドバ地方の人々はモルドバをルーマニアの領土だと主張する。ルーマニア語が話される地域もあり、ルーマニア人にとっては不本意な国境線である)20世紀前半には20年ほど司法宮殿として機能しており、その後も改築を重ね文化宮殿となる。途中1888年にはヤシ大火災が発生し、この宮殿も含めて町のほとんどが焼けた。その時に現在のような時計塔付きネオゴシックデザインに落ち着いた。

【怖わ〜いはなし】
こんな辺境の地にも日本人団体観光客はやってくる。ある時、国立劇場で日本人公演があり、そのついでにうちの博物館にも団体客が訪れた。すると何人かは入り口で足が止まってしまった。聞いてみると、「ここで多くの人間が死んでいる」という。毎日出勤している私としては「アホなことを言うな」という気分であったが、その場をやり過ごし同僚に聞いてみた。何やら司法宮殿時代には中庭部分で毎日絞首刑が執行されていたらしい。。。「ほら、ちょうどあそこで、」って恐いこと言うなー!!

『歴史館』  オススメ度 ☆☆☆★★
ククテニから現代まで。前半は土器や出土遺物ばかりでおもしろくない。後半はいきなり中世に突入。トルコ支配時代の衣装や武器は良いものがある。それ以降は戦争に関わるものが多く、大陸の歴史を感じさせられる。

『科学館』  オススメ度 ☆★★★★
海外からの要人や、テレビ撮影が来たら、科学館前半の“オルゴール館”へ案内すると決まっている。現在も変わらぬ音色に大人から子供まで楽しめる。但し、学芸員にオルゴールを動かしてもらえたらの話だが。後半は発電の仕組みと鉱石、通信の歴史。運がよければ見ることができる。

『美術館』  オススメ度 ☆★★★★
ルーマニアの巨匠の絵が充実。特に100,000lei札のニコラエ・グリゴレスク“白い牛の絵”シリーズはルーマニアの有名美術館に必ずあるが、ここには最大のものがある。ブカレストが首都になるまで、彼の作品の大部分はここの所蔵品であったらしい。ルーマニア画家とヨーロッパ画家の部屋に分かれている。


『民族館』  オススメ度 ☆☆★★★
ルーマニア風俗についての展示。前半はルーマニア伝統農具(ワイン・養蜂・乳製品・製油など)や漁具の展示。後半は伝統的な家具や生活雑貨と民族衣装。祭日の民族衣装など、現在も田舎で利用されているものばかりだ。

(Y.M. 2005年1月)





◇ 文化宮殿の春・夏・秋・冬 ◇






◇ 30年に1度の大地震!!!? (文化宮殿内の壁がぁぁぁ〜) ◇

ついにこの日がやってきた!前回の地震は誰もが知っている1977年。2004年を迎えた今、(30年周期らしい)いつ来てもおかしくないのだ。10月26日夜、11時36分、私はラッキーにもパソコンを開いていた。 ドン と下から突き上げる感じがした。 「きた!!」 その直後ゆっさゆっさとブロック全体が横揺れしはじめ、地震の揺れの最中に ブチッ と停電になってしまった。これが視覚的に恐ろしかった。パソコンの予備電のあかりで、なんとか建物が崩壊する前に貴重品を集めはじめると揺れがおさまった。「けっこう、大きかったな〜」とベランダに出てみると、真っ暗!!震度3くらいであろうか?7階なのでけっこう揺れた。ルーマニアは耐震建築などないので地震ごとに都市の建物が崩壊する。(おそろし) 20分くらい経っても、まだ停電がなおらない。当然TEL(FAX)もケイタイも同様に、回線パンクの為か使用不可能。「震源地がブカレストだったらどうしよう?」めちゃ、めちゃあせった。ヤシが震度3なら、ブカは震度7くらいだろうか?(ブカの皆さん、生きてるかな〜)外は、信号機も動かないので、車のブレーキ音が響き、更には、外から 「ドカン、ドカン、ドカン」 と連続して鳴り響く爆発音がっ!!!いったい何が起こったんだ?「きっと、近くの工場が爆発したんだ」と思ったが、後から聞いてみると、ルーマニアの緊急用サイレンは空砲なのであった!そういえば、かつてどこかで聞いた音だ。なぜ、サイレンが空砲なんだろう。(余計コワイ!)とにかく、すごく大きな音で耳が痛いので、ベランダから部屋の中に入って窓を閉めた。有毒ガスを吸って死んでしまうと思ったからだ。(アホ)ガラスが暗闇の中、ビリビリと震動している。そして、12時をまわった地震後30分、ようやく全ての電気が復旧。テレビのニュースも地震特番になっている。震源地はカルパチア山脈プレートのちょうど‘かど’。いつもの場所らしい。ブカ→トゥルチャ→ヤシまで全てMG5.8と、思ったより大きかったが各地の震度は2〜3だったという。日本人とってはたいしたことはないが、ルーマニアの建物はレンガを積んで、壁を塗っているようなものなので(全てではないが)毎回ビルが崩れて多くの人が死んでいる。それでなくても日に日にビルにヒビが入ってゆくのに…(いちど、真ふたつにわれているブロックを見た!)

(Y.M. 2005年1月)



【地震の後遺症:早いとこ修復しなくては?】